あの「爛々」のボケ担当・ももさんって、どんな中学時代を過ごしていたの?と気になっている方も多いはず。
この記事では、「爛々」ももさんの知られざる素顔や、今の芸風につながるルーツをじっくりと掘り下げました。
嵐のようにクラスをかき乱したエピソードや、いじめに立ち向かった感動秘話、さらに高校時代の活躍や「爛々」結成の舞台裏まで、ももの魅力がギュッと詰まっています。
読めば読むほど、彼女の芯の強さと優しさ、そして笑いにかける情熱に心打たれるはずです。
爛々ももの中学時代に迫る!エピソードと素顔を深掘り!
爛々ももの中学時代に迫りながら、その素顔や現在のキャラとのつながりを深掘りしていきます。
①大阪市出身の萌々、どんな中学に通っていた?
爛々のボケ担当、萌々(もも)さんの出身は大阪府大阪市です。
通っていた中学校名は公表されていないものの、公立中学校の可能性が高いと言われています。
大阪市は中学校の数も多く、エリアによって校風や生徒の雰囲気もガラッと変わるのが特徴。
そんな中で育った萌々さんは、小さい頃から「竜巻みたいにクラスをむちゃくちゃにする子」だったと本人が語っています。
教師からしたら大変だったかもしれませんが、それだけエネルギッシュで周囲を巻き込む力があったということでしょうね。
中学時代の環境が、後の芸人としてのキャラ形成に大きく影響していることは間違いなさそうです。
②クラスを巻き込む「嵐のような子」だった過去
本人いわく「竜巻みたいだった」と語る萌々さん。
これは比喩ではなく、まさに実際の行動で周囲をかき乱すタイプだったそうです。
例えば、クラスで静かな時間にも突然笑いを起こすような行動をとったり、先生の言葉にいちいちリアクションして場を盛り上げたり。
いわゆる「ムードメーカー」だったわけですが、普通のそれとはスケールが違います。
まさに「嵐」級の存在感で、日々何かしらの事件を起こしていたみたいですね。
こういった型破りな性格が、いまのしゃべくり漫才に活きているんだなと納得できます。
中学時代からすでにエンタメの神が宿ってたのかもしれません。
③いじめっ子と戦ったエピソードが熱すぎる!
萌々さんの中学時代には、感動的なエピソードも残っています。
なんと、いじめをしている生徒に立ち向かい「なんでそんなことするん?」と真っ向から止めに入った経験があるそうです。
これは当時の同級生の間でも語り草になっていたとか。
小中学生の世界では、いじめの現場を見ても見ぬふりする子が多いなか、真正面から対抗する姿勢はなかなかできるものじゃありません。
この頃から「正義感のかたまり」みたいな性格だったんでしょうね。
後にコンビを組む大国麗さんからも「万年キッズ・ウォー」と称されたほどです。
④中学時代から目立っていた?正義感の強さ
萌々さんの中学時代は、やはりとにかく目立つ存在だったようです。
ただ単に目立つだけではなく、その理由が正義感の強さや他人を思いやる心から来ていたというのがポイント。
例えば、先生が怒ってるときでも、その空気を一気に和ませるような冗談をぶっこんだり。
自分が怒られることになっても構わず、場の空気を変えることに全力を注いでいたそうです。
もう、この時点で「芸人の素質あり」ですね。
そう考えると、中学時代の萌々さんは、すでに「ボケ役」としての道を歩み始めていたんじゃないかなと感じます。
⑤爛々結成への布石はこの頃から?
実は、萌々さんは高校に入る前から「お笑いがしたい」と思っていたそうなんです。
この気持ちは中学時代の経験に根差していて、クラスで笑わせるのが得意だったことから「これを仕事にできるかも」と思ったのがキッカケ。
それに加えて、「笑い」で人を救えるという実感を持ったのも中学時代だったとのこと。
人が落ち込んでいる時に自然に笑わせて、ちょっと元気を与える。
そんな優しさと熱さが、今の「爛々」の漫才にもしっかり活きています。
⑥趣味や特技も中学時代からのもの?
萌々さんの趣味は「絵を描く」「人間観察」「独り言」「人生相談」などなど、かなり個性的。
これ、実はほとんど中学時代から続いてるんですよ。
例えば、授業中にこっそりノートに絵を描いていたとか、休み時間には友達の行動を観察してメモに取っていたとか。
独り言が多くて、周囲からは「変な子」と思われることもあったそうですが、それも含めて今のキャラクターに通じています。
ちなみに、特技は「鯛をさばく」「人のイメージを動物などで絵に描く」など。
⑦中学時代の萌々に今の片鱗はあったのか?
間違いなく、今の爛々・萌々さんの片鱗は中学時代から見えていました。
エネルギッシュで、正義感が強く、そして人を笑わせることが何よりも好きだった。
一見、ただのお調子者にも見えるけれど、その根底には「誰かを助けたい」という真っ直ぐな思いがある。
そんな萌々さんの原点が中学時代に詰まっていると思うと、なんだかグッときちゃいますね。
芸人という職業を選んだのも、ただの偶然じゃなく、運命だったのかもしれません。
爛々もものプロフィールと高校時代の活躍がすごい
爛々ももさんの基本的なプロフィールと、高校時代の活躍を深掘りしていきます!
①大阪市立扇町総合高校とは?
ももさんが通っていた高校は「大阪市立扇町総合高等学校」です。
この学校は、表現や芸術、音楽活動にも力を入れており、自由な校風で知られています。
普通科に加えて、「表現系列」という独特なカリキュラムがあり、舞台・映像・音楽などに興味がある生徒に人気。
まさに芸人を目指すにはぴったりの環境だったのかもしれません。
高校時代の萌々さんが、自分のやりたいことをどんどん形にしていった背景には、この学校の自由な雰囲気があったのではと感じます。
②音楽部でのエピソードがめちゃ濃い
高校時代、萌々さんは部員がなんと「約100人」もいる音楽系クラブに所属していたそうです。
そしてその中で、なんと「企画長」というリーダーポジションを務めていました。
いや~、100人をまとめるって、もはや部活じゃなくて会社のマネジメントですよ(笑)
当時、部内のルールが100個もあったそうで、それを「大事な20個に絞ろう」と改革に取り組んだんです。
ところが、それがきっかけで部員との衝突が起きてしまい、結果的には辞めてしまったというエピソードも。
この話、まさに熱血改革者ですよね。
ただ指示を出すだけじゃなくて、本気で良くしようとしたくての行動だったんでしょう。
③100人をまとめるリーダー気質がすごい
前述の通り、100人規模の音楽クラブで企画長を務めた経験は、まさに「リーダーシップ」の賜物。
萌々さんは決して偉そうにではなく、仲間と一緒に楽しくというスタンスで動いていたようです。
それでも結果的にぶつかる場面もあり、悩んだ末に身を引いたとのこと。
でも、こういった経験って、リーダーにしか得られない貴重な財産なんですよね。
正しいことをやっていても、人は必ずしも賛同してくれるわけじゃない。
この経験があるからこそ、今の「ちょっと一歩引いて周りを見る」漫才スタイルがあるのかもしれません。
④高校で組んでいた初コンビ「ぴーひゃら」
萌々さんは高校1年生の頃から、すでに「女子コンビ」を結成していました。
その名も「ぴーひゃら」。
この「ぴーひゃら」で、高校3年の夏には本格的に芸人活動をスタート。
そしてNSC(吉本興業の養成所)へ入学するという、まさに青春のすべてをお笑いに捧げた高校生活。
ちなみに、「ぴーひゃら」として出場したNSC内のバトルイベントで、なんと1位を獲得しています。
すでに高校生の頃から、頭一つ抜けた存在だったということがよくわかりますね。
⑤よしもとNSC入学と1位になった大会とは?
NSC(吉本総合芸能学院)には、「ぴーひゃら」として入学した萌々さん。
在学中に行われた「NSC39期現役生ネタバトル この秋1番オモロイのは誰だ!?」に出場し、なんと1位に輝いています。
これはかなりスゴいことで、通常は数十組以上が参加する激戦区。
それを制してトップに立ったのは、才能も努力も相当だった証拠です。
この結果は講師陣や関係者の間でも話題になり、「即戦力」と言われる存在だったとか。
⑥コンビ解散から爛々誕生までのドラマ
その後、「ぴーひゃら」は解散となり、NSC内で新たな相方探しをしていた時に出会ったのが大国麗さんです。
出会いのきっかけがまた劇的で、大国さんがトイレに入っていたとき、個室で泣いている萌々さんの声が聞こえたそうです。
「どうしたん?」と声をかけたところ、萌々さんが「コンビ組みませんか」とその場で申し込み。
なんと大国さん、便器に座ったまま手を差し出して握手したというから、まさに運命的な出会いです。
⑦ネタ作成や挨拶「りゃ!」の誕生秘話
爛々のネタ作成は、すべて萌々さんが担当しています。
彼女の中には型にはまらない面白さが溢れており、それがしっかりと作品に表れています。
冒頭で使う「りゃ!」という挨拶は、もともとは高校時代に冗談で使っていた言葉だったとか。
何気なく言っていたことが、今や爛々の名物になっているのはすごいことですよね。
爛々の魅力と活躍まとめ!もものこれからにも注目!
爛々のこれまでの活躍や魅力、そしてももさんの今後の展望に迫っていきます!
①THE WやM-1での爛々の実績とは
爛々は、数々の賞レースで好成績を収めてきた実力派コンビです。
中でも特筆すべきは、2022年の「THE W」決勝進出!
この大会は日本一の女芸人を決める戦いで、爛々はグループBに出場。
残念ながら初戦で敗退となりましたが、相手は最終的に優勝した「天才ピアニスト」だったため、悔いはなかったそうです。
さらに、M-1グランプリにも毎年挑戦しており、2021年には3回戦進出。
萌々さんは2024年には別ユニット「ド・根性ズ」としてもM-1に出場し、こちらも3回戦まで進出しています。
②昭和しゃべくり漫才のスタイルを貫く理由
爛々の持ち味は、「昭和しゃべくり漫才」の王道スタイル。
2人がテンポよく掛け合いながら進むネタは、どこか懐かしくて、それでいて新鮮。
萌々さんがインタビューで「私たちの漫才はトムとジェリーみたいな感じ」と語っていたのが印象的でした。
一見ケンカしてるように見えて、実は信頼で結ばれている。
そんな空気感が、見る人の心をぎゅっとつかむんですよね。
最近はコント系の芸人が多い中で、しゃべくり一本で勝負する姿勢が本当にカッコいいです!
③YouTube「茶の間で爛々」ってどんな番組?
爛々はYouTubeチャンネル「茶の間で爛々」も運営しています。
登録者は2.5万人、総再生回数は395万回を突破(※2024年11月時点)。
日常の素顔やトーク、ロケ企画など、テレビでは見られない一面が盛りだくさんです。
ファンからは「漫才よりも素の2人が好き」「友達になりたい」といった声も多く寄せられていて、まさにお茶の間のアイドル状態。
このチャンネルから萌々さんの人柄や思考もよく伝わってきますし、応援したくなる理由が詰まってます。
④萌々のピン活動「ド・根性ズ」も話題
相方・大国さんが2023年から体調不良で休養に入ったため、萌々さんは一時期ピンでの活動も行っていました。
その中で結成されたユニット「ド・根性ズ」では、THE WやM-1にもエントリーし話題に。
ピンでもネタ作成から演技、演出までこなしてしまうのが萌々さんのすごいところです。
もちろん「爛々」としての活動が本筋ではあるものの、この経験が今後の芸人人生に大きな糧となることは間違いありません。
⑤爛々のこれまでの受賞歴まとめ
ここで、爛々がこれまでに受賞した主なコンテスト歴をざっと振り返ってみましょう。
年度 | 賞・コンテスト名 | 結果 |
---|---|---|
2022年 | 女芸人No.1決定戦 THE W | 決勝進出 |
2023年 | NHK上方漫才コンテスト | 準優勝 |
2023年 | Kakeru翔GP(よしもと漫才劇場) | 優勝 |
2019年 | 関西演芸しゃべくり話芸大賞 | 奨励賞 |
どの大会も、実力がなければ勝ち残れない舞台ばかり。
本当にコツコツと、実績を積み上げてきたコンビだというのがよく分かりますね。
⑥休養中の相方・大国さんとの絆
現在、相方の大国麗さんは治療専念のため休養中。
ですが、爛々のYouTubeやSNSでは、ももさんが「必ず帰ってくると信じてる」と発信し続けています。
2人の出会いがトイレで泣いていた萌々に声をかけたというドラマのような始まりだったからこそ、この絆は強いんだろうなと思います。
きっとまた2人で舞台に立つ日が来ると信じて待ちましょう。
まとめ
お笑いコンビ「爛々」のボケ担当・ももさんは、大阪市出身で、中学時代からすでに個性が炸裂していました。
「クラスをむちゃくちゃにする子」と語るほどエネルギッシュで、正義感が強く、いじめに立ち向かったエピソードも印象的です。
高校時代には音楽クラブで100人をまとめるリーダーシップを発揮し、「ぴーひゃら」としてお笑い活動を本格化。
NSCではネタバトル1位に輝き、その後、運命的な出会いを経て「爛々」を結成しました。
YouTubeや賞レースでも実力を発揮し、現在はピン活動もこなしながら大国さんの復帰を信じて奮闘中です。
ももさんの今後の活躍がますます楽しみですね。